この度の震災に遭われた方々、ご家族や知人を亡くされた方々に心よりお見舞いとお悔やみを申し上げます。
また、今も避難所などで、不便な暮らしをされている方は大変でしょうが、頑張って頂きたいと思います。

当日の様子を、記憶がまだ鮮明なうちに記録しておこうと思います。

3/11の14:00から、宮城県庁で、とある情報システムに関しての相談・報告を受けていました。皮肉なことに、地震関係のシステムです。
14:40頃、グラッと揺れるのと同時くらいに、庁内放送及び、自分の携帯電話から緊急地震速報の音が鳴り始めました。揺れはどんどん大きくなり、周りでバタバタとモノが倒れたり落ちたりしていました。
すごい揺れの中、うちの奥さんから携帯に電話が来て、キャーキャー言っていたのですが、どうやらちょうど子供が帰宅している途中の時間らしく、先にそちらに電話するように言って、携帯電話を切りました。
そうこうしている間に、電気がパッと消えます。
県庁内は非常用電源があるようなので、そのうち照明が点き(PCなどには電気は行っていません)、私が普段仕事をしている部屋から隣の部屋に移りました。周りでは県職員の方々が怪我や安否の確認をしているようです。
TVを見てみると、海岸の様子が放送されており、自動車が何台も津波にさらわれていく様子が映っています。それと同時に、津波注意報が出ている場所が日本地図で出ていたのですが、日本中の太平洋側殆どに出ていました。
近くではスプリンクラーが動いたというような声が聞こえてきます。

一方で、私の方も自分の家族(奥さんと子供)に電話とメールをしていたのですが、全然、通じず。ただ、地震直後に、奥さんから「子供には学校に戻るように連絡がついた」とのメールだけは届いていました。

15:30頃、これ以上、県庁にいても仕方が無いと判断し(どうせ自分の仕事が発生するはずは無いので)、子供を迎えに行って家に帰ることにする。県庁の人にその旨を伝え、県庁を出ました。
県庁ロビーでは、何かが落ちていたようです。
入り口、ロビーには、周囲から情報を仕入れに来たのか、トイレか何かを借りに来たのか、人がごったがえしていました。
外に出たところで、よく相談に来る県庁職員と会い、ちょっと話を聞くと、上位階の人(その人は16階で仕事をしています)は、外に出るようにと指示があったとのこと。

宮城県庁(勾当台公園のあたり)から子供の学校(五橋)を経由して家(若林区古城)まで歩くことになる。仙台市の土地勘の無い方はGoogle Mapを見てください。

途中、ぞろぞろと人が歩いているが、このときはまだ呑気なもので、途中で写メなどを撮っておこうかななどと考えていました。壁が崩れたり、立体駐車場の看板が傾いたりしていました。しかし、メールが全然通じず、twitterなどに投稿しようと思ったのですが、結局、それはできませんでした。

交差点では、信号が全て消えています。雪も降ってきました。

途中、ビルの壁?突起部?が崩れて、下のバス停が潰されているのを見て、流石にぞっとしました。もう、子供が通う学校の近くですので、子供が通学に使ったこともあるかもしれません。

途中のコンビニで既にちょっとだけ行列ができています。一応、カップラーメンを5個だけ買っておきました。もちろん、選んでいる余裕などありません。

学校に着くと、先生が出てきて、子供たちは体育館に避難していることを教えてくれ、そちらに案内してくれました。
子供とは無事、会えましたが、一度、うちの奥さんも来ていて、家が危ないので、一旦、そのまま置いていったということを先生から伺い、雪もかなり強かったので、もう少し、子供を学校に預けていくことにする。
先生たちも停電で、情報が得られいないということだったので、県庁のTVで見た様子、学校までの道のりで見た様子を伝えて、学校を後にしました。

家まで行く途中は線路の脇を通ってきたのですが、線路の途中でJRの電車が止まり、中から人が降りてきたり、助け出されていたりするのが見えました。

無事、家までついたのですが、マンションの敷地内の歩道部分がすごくデコボコになっています。相当の地震だったことがわかりました。

うちは8階なのですが、当然、エレベータは止まっているので、階段で上ると、ちょうど、うちの奥さんが出てきたところで、更に、子供からも奥さんの携帯に電話が来たところ(奇跡的につながりました)だったので、これから迎えに行くと伝える。
家の中をちょっとだけ見ると、やはりメチャメチャでした。

子供を迎えに行く途中、奥さんに家の様子を聞きながら歩く。
どうやら、大きな家具(食器棚、タンス、テレビ台のシステムラックなど)は耐震対策のおかげで倒れなかったらしい。ただし、対策をしていたにもかかわらず、食器棚の扉は開き(ロックもつけていたのに)、中から多くの食器が飛び出し、割れてしまいました。自分の部屋は本棚が倒れ、よくわからないそうです。子供部屋も本や洋服が飛び出したようでした。

途中、知らない人に、ある小学校の場所を聞かれ、同じ方向なので案内しますと言って同行。

再度、子供の学校に到着し、先生に挨拶して学校を後にしました。
その時は既に暗くなっていたので、なるべく広い道を通っていくことにする。
途中、空を見上げると、雪も止んでいたので、星がすごくきれいに見えました。街の明かりが無いと、星ってこんなにきれいなんですね。
道中、札幌の妹に電話がつながったので、家族の無事を伝え、母親にも伝えておいて欲しいとお願いする。

私は行ったり、来たりで3時間以上歩きましたが、何とか3人揃って家に到着。
寝室には殆どモノは無いので、そちらがベースになって家族で寝ることに。
防災グッズを入れたリュックの中には、以前在籍していた会社でもらったラジオ+LED電灯+点滅電灯+ブザー+携帯充電器というものがあったので、これを使う。しかも、クルクル回すハンドルで充電までできてしまうというもの。

しかし、ここで事件。
頼んでもいないのにダラダラとこれを回していた子供が叫ぶ
「やばい!折れた!」
ゲッ!どうやって回したらこんなハンドル折れるんだよ!これで、停電でも少し安心と思っていたのに、かなり焦る。
懐中電灯は別にあるし、明かり自体はしばらく困るわけでは無いのだが、多分、一番困るのは携帯電話。懐中電灯を駆使して、接着剤とテープを探す。何とかそれは、この状況でも発見できたので、懐中電灯とろうそくの明かりの中、何とか補修を試みる。が、瞬間接着剤という割には、あまりくっつかない(100円均一で買ったからか?)。仕方ないので、一晩置いてみることにする(次の日はくっついたが、その後、何度かやはり折れた)。
地震の規模からして、ライフラインの復旧は結構かかると踏んでいたので、何がどのくらいあるかチェックすると、ろうそくが5本くらい、単一、単三電池が少し。カセットガスボンベ3本。水は2Lペットボトル6本くらい(防災用だったのだが、賞味期限切れ。この際、味はどうでも良い)。バスタブの水が半分くらい(その日はたまたま洗濯に使っちゃった~とのこと)。ちなみにろうそくは、結婚式の時にもらった馬鹿でかいメモリアルキャンドルもありました。カップラーメン類少し。缶詰少し。
カップラーメンや缶詰などは、パンデミック対策で、結構買っていたのだが、最近はちょっと気が緩んでいて、大分、使ってしまっていた。マーフィーの法則というのは本当なのか…?
車のガソリンは半分くらいありそうですが、無駄遣いはできません。
ともかく、しばらくはこれで何とかするしかありません。その日は、余震を何度も感じつつ、ラジオを聴きながらベッドの中に入っていました。もちろん、服は着たまま。

次の朝は土曜日。明るくなったので、様子を見るために外に出てみると、バケツやポットなどを持った人がいます。うちの隣に地域のコミュニティセンターがあるのですが、そこから水を汲んでこれるようだということがわかりました。住んでいるのがマンションなので、停電だと水道が出ませんが、断水しているわけでは無いので、近くでは出ていたのですね(ちなみにマンション内にも給水所がありました)。取り敢えず、水があるだけですごく安心。
すぐそばのコンビニには公衆電話があるのですが、そこにはズラっと人が並んでいます。まずはコンビニ内に入り、ちょっとだけ奥さんが買い物。その間、私は公衆電話の列に並んで、母親に電話することにする。

一度、8階の部屋まで階段で上がり、バケツ等を持って、また給水に行きました。水を汲み終わったときに、子供が
「コンビニで無料でアイス配ってるよ」
と。電気来ていないんですから、廃棄するより、ただで配ってしまったほうが良いですよね。子供にもらいに行かせると、3人家族なのに、4コももらって来てしまいました。冷蔵庫止まってるのに…orz。

重い水を持ち、また8階まで階段です。この後、15日の夜まで、1日に何度も水を持って、8階まで上り下りすることになります。最初はきつかったけど、だんだん慣れてきました。運動不足を実感。食べ物も少なかったので、ちょっとズボンがゆるくなりました。少し、健康的になりました。

食べ物等もどこにあるか、何とか調達が必要だったのですが、近くに河原町商店街というのがあり、ここのお店がかなり頑張ってくれていて、購入の制限はありますが、肉や野菜、お菓子、ジュースなどを結構、購入することができました。本当に地元商店街様様です。無くなると困るので、今後はたくさん使うようにしますm(_ _)m。ありがとうございます。

ラッキーなことに米もドラッグストアで10Kg仕入れられました。もう、うちには無かったのでホントに良かった。

買い物以外では、家のことですが、まず、自分の部屋は、最初、様子を見ようと思ってもドアが中から押さえられていて、なかなか開きません。隙間から見ると、ドアのところに、プリンタが落ちていたので、まずそれをどけ、ドアに倒れてきていたスチールラックを何とか少し起こすと、中の様子が少しわかりました。
大型のスライド式書棚が倒れ、本棚の代わりに4段重ねにしていたカラーボックス(3段のものと左右にわかれ、3段+2段でA4書類が入るもの)が崩れ、中の本が大散乱(1000冊くらい?)しています。部屋の真ん中にガラステーブルが置いてあり、そこでよくノートPCを使っていたのですが、見た感じ、壊れていないように見える。希望も含めて!(壊れてませんでした)
でも、余震もあるし、片付ける気が失せる…。しばらく、良いやと思う。

LDKにある食器棚から散乱した割れた食器を片付け、台所の食器も片付けると少しだけ動線ができました。地震に負けず、少しずつ、生活は取り戻していかなければなりません。

次に、食事。
電気が無いので、少ない卓上ガスコンロで何とかするしかありません。
パスタをゆでたり、インスタント麺を作ったりは、お湯だけ沸かせば良いです。
ご飯は圧力鍋を使い、ガスは短時間だけ使って炊きました。圧力鍋って便利だな。
レトルトカレーを食べたときは、それだけでごちそうに感じました。

月曜日(14日)になり、県庁の方に行ってみることにしました。自転車で途中の様子を見ながら向かい、途中で子供の学校に寄って無事を伝え、県庁へと行きました。県庁では、こんなときでも、職員さんが泊り込み、対応をしています。本当に感謝です。

その後も毎日、県庁には顔を出し、市内の様子を確認しつつ、ネットを使って外部からの情報を仕入れたり、自分の知っている情報をtwitterやFacebookなどで発信したりしました。

うちの停電が復旧したのは15日の夜です。突然、トイレでゴボゴボと音が鳴り、水道が動き始めたので、電気が来たのかな?と思いました。その後、マンションの館内放送で、停電復旧したので、安全を確認の後、ブレーカーを上げてくださいとの連絡がありました。
電気が来たときは本当に明るく感じましたよ。一気に、電気と水が部屋に来たので、すごく嬉しかったです。

ガスは復旧までまだまだかかりそうなので、お風呂には入れませんが、そのくらいは何とかします。避難所暮らしの方々を考えれば何でもありません。

この地震で、今後、色々と生活スタイルが変わってくるような気がします。

・落ち着いたら、地下鉄通勤ではなく、自転車通勤にしてみようかな?と思ってます。
・自宅マンションでは、これからもなるべくエレベータではなく、階段を使おうかなと思います
・家族との時間は大切にしたいと思います
・ボランティア的なことももうちょっと関わっていこうと思います

どれも、自分ができることをできる範囲でということにはなると思いますが…。

被災地はこれからも色々と大変です。でも、これをきっかけに、逆に今まで以上に素晴らしい土地になっていくよう願っています。

最後に、色々と支援してくれる周りの人たちに感謝です。

追記

地震対策について

大型家具の地震対策は、天井に突っ張るポールと、壁へのボルト止め、家具の前面下に嵌めるタイプのもの(家具が後ろに寄りかかるようになるので、前面に倒れにくくなる)を使っていました。それと、食器棚の前面の扉はロックがかかり、一回押し込まないと開かないようにしていました。

・突っ張りポール
タンスのものは大丈夫でした(元々、タンスがものすごく重いというのもあると思いますが)。食器棚を支えていたものは、二本中、一本が外れました。危なかったです。
また、また、食器棚の扉はロックがかかるようにしていたにもかかわらず、開いてしまい、食器が飛び出しました。前後の揺れが強すぎたのかもしれません。閂タイプのロックも追加した方が良いのかもしれません。

・壁へのボルト止め
最初、家具が倒れていなかったので気づかなかったのですが、よく見てみると、位置がずれており、調べてみると、壁からボルトが抜けていました。一番、信頼していたのですが、ボルトが抜けるなんて、相当な揺れだったのだろうと思います。でも多分、最後まで頑張ってくれたので、倒れずに済んだのだと思います。

・前面下に嵌めるタイプ
これを使っていた家具は倒れていませんでした。家具自体がそんなに重くなかったのと、バランスが良かったのかもしれません。

ちなみに、ボルト止めしていた家具は大型のテレビラック(収納が上のほうまであるタイプ)なのですが、ここに収納していたTV(薄型)は倒れていませんでした。
TVの下には、ゼリー状の耐震マットを敷いていましたので、この2つの効果で倒れなかったのかもしれないと思います。地デジに変えてから1年も経っていないので、倒れて壊れちゃったら結構、悲しかったと思います。