東日本大震災から50日が経過した。
太平洋沿岸部の被災地や原発周辺の住人たちは、まだまだ避難生活が続き、大変な状況ではあるが、他の地域では、ライフラインや交通網の復旧により、少しずつ、元の生活が戻ってきている。

さて、子供の宿題を少し見てあげていると、興味深い文章があったので、それについてちょっと考えてみた。

福田和也氏の書いた「近世の高速、日本の宿命」という文章からの抜粋である。ちょっと長くなるが、引用してみたい。

 デカルトの主著『方法序説』は、あらためて読むとかなり奇妙な書物である。
デカルトはこの作品の中で、いかなる自分の「思想」も述べていない。彼が、この書物に記そうと考えたのは、「ただいかなるしかたで私が自分の理性を導こうとつとめてきたかを示す」ことである。デカルトは、命題や真理も示さない。彼は、「私のとってきた途がいかなるものであるかを示し、私のいままでの生活を一枚の画として描」いて見せるだけである。
『方法序説』のなかで、デカルトは従軍や遊行といった「旅」を、「真理」の探求としておこなった、書物では得られない知識の獲得を日的とした探求であった、と書いている。だがその著書を読むと、逆に、まず遍歴への衝動や欲求が先に存在し、その言い訳として、とり敢えず「真理」といったものが揚げてあるに過ぎないようだ。
「どこかの森に迷いこんだ旅人たちは、あちらへ向かったり、こちらへ向かったりして迷い歩くべきではなく、いわんやまた一つの場所にとどまっているべきでもなく、つねに同じ方向に、できるかぎりまっすぐに歩むべきであって、(中略)こうすることによって、旅人たちは彼らの望むちょうどその場所には行けなくとも、少なくとも最後にはどこかにたどりつき、それらはおそらく森のまん中よりはいい場所であろうからである」。
ここでデカルトが語っているのは、 一度決定した方針は変えないほうがいい、といった教訓ではない。とにかく歩き出すこと、それがどこに至るか知れなくても、構うことなくどんどん歩き続けることを、議論の余地のない前提とするような価値観であり、決意である。つまり真理が先にあったのではなく、旅が先にあった。方法が先にあったのではなく、まず彼方への欲望があった。そしてデカルトは、自分が何のあても見込みもなくたどりついた場所を、「真理」として掲げることにしたのである。
彼は立ち止まったり、沈潜したりすることをあざ笑い、あらゆる束縛や配慮を振りすてた。とにかく第一歩を踏みだすことを賞揚した。未知の大陸への航海だけではなく、思索や哲学といった内省的な事柄でさえ、すべてが出発の決意と、第一歩を踏み出す足の動きによって始まると断言してはばからない。既成の哲学は、「それが幾代もの間に現れた、最もすぐれた精神をもつ人々によって研究されてきたにもかかわらず、いまだに、論争の余地のないような事がらが、何一つ哲学には存しない」ものであり、「学者の求めるたんなる理論は、なんの結果をも生まないもの」にすぎない。といっても、彼は自らの思想を高じとしているのではない。ただデカルトは、哲学史の蓄積に頼らずに、ゼロから出発し、すべての行程を自分の足で歩いてみたい、と言っているのである。
出発の論理によるならば、あらゆる人間の営為は、自分一人の手で、土台から作った時にしか信用がおけないし、うまくいかない。「はじめ城下町にすぎなかったのが時がたつにつれて大きな町となったところの古い都市は、一人の技師が平野の中で思いのままに設計してつくった規則正しい町にくらべるとたいていは全体のつりあいがとれておらず」、また「昔はなかば野蛮の状態にあり、そののち徐々にしか開化せず、その法律を、犯罪や争いのわずらいに強いられてのみつくってきた国民は、寄り合った最初から、ある賢明な立法者のつくった憲法を守ってきた国民ほどにはよく治められていることはありえない」。
デカルトは、すべての歴史的所産を、いつたんゼロクリアにしたうえで、自分の手で、一からはじめることを、唯一の確実で「理性的一な行動とみなしている。自分の「出発」だけが、文明の、人類の、歴史の「出発」点たりうるという、かつて誰も考えたことのない、傲慢とすら呼ぶことができないような隔絶した認識をいだいていた。デカルトの「真理」や、その哲学を批判するのは簡単である。だが、その場その場では学問的には「正しい」に違いない、ちまちまとした「真理」と絶縁するためにこそ、デカルトは旅立った。これは、思想というようなものではない。というよりも、これが「思想」ならば、私たちが弄んでいる考察は、ひ弱で、頼りない、言い訳か気休めに過ぎまい。
つねにゼロクリアを前提として、「土台」からはじめることを要求するデカルトの哲学は結局近代的個人の唯一の行為は、「出発」であることを示している。「デカルト的個人は、まず自分を、自分のよってたつ場所や身上を、ゼロクリアして清算する。このゼロが出発を可能にすると同時に、このゼロこそが、「出発」の後の歩みによって得られる個人のアイデンティテイを根底で支えている。デカルトぼ哲学の、もはやこれ以上は疑いえないゼロ地点に、有名な「我思う、ゆえに我あり」という、思考する主体を置いた。だが、この有名な「真理」は、「我旅立つ、ゆえに我あり」と、変えるべきではないだろうか。
そして、この「我旅立つ、ゆえに我あり」という格言は、個人として生きている今の私たちの生活を要約している。明治維新以来、私たちは何度も、「国のすべてを土台からつくりかえ」ようと企て、ゼロクリアを試みてきた。町並みを壊し、家を建て替えて、完全な都市や住宅を、自分の手で作ろうとしてきた。世界中に進出して、工業製品から学問、芸術にいたるまで、欧米人を賛嘆させる成果をあげてきた。ただ、私たちは、いかなる土地にも、この出発によってたどりつけないだけだ。たしかに私たちは、みずからの伝承や帰属をゼロクリアした。しかし、その土台の上に、私たちはいかなるアイデンティテイも建設しなかった。この土台の上に作られるものは、「暫定的な」遊園地であり、「暫定的な」都市であり、「暫定的な」国家や社会にすぎなかった。私たちは、建てたかと思うまに街全体をゼロクリアし、出発するかと思うと、また旅程を組み直す。私たちの時間には「出発」の慌ただしさしか存在せず、いかなる繁栄も、華麗さも、そして荒廃さえも「暫定的」であり、町には、風景がない。フランスヘ、アメリカヘと、とにかく旅立ち、とりあえず勝ち抜くために熾烈な競争を戦った後、自分が誰だか分からなくなり、日本の「文化」に救いを求めている。
私たちは、「出発」によって得られるべき、自己の証をすぐにまたゼロクリアしてしまう。アイデンティティがないまま私たちは、無限の「出発」を繰り返し、自分のものである土地にたどりつくことができない。

(福田和也「近世の高速、日本の宿命」より)

今回の震災で、被災地、特に津波の被害に遭った沿岸部は図らずも物理的な意味でゼロクリアされてしまった。
この文章の中で、筆者は私たち(日本人)は明治維新以降、何度も国の全てを土台から作り変えるため、何度もゼロクリアを試みてきたといっている。今回の震災では、そのように「作り変える」という意思が働かないまま、多くの町がゼロクリアされてしまったわけだが、これからそれらの土地をいったいどのように復旧・復興させていくべきなのであろうか?

明治維新(正確にいえば大政奉還に先立つ黒船来航)は、土地の物理的なゼロクリアというよりは価値観・精神性の大きな転換であり、第二次大戦での敗戦も物理的な破壊と同時に価値観の転換が大きかった。
それに対して、今回の震災では、物理的な破壊はとてつもなく大きかったが、精神的な部分での変化はどうだったのだろうか?もちろん、大きなショックを受けた人は多かったと思うし、価値観が大きく変わった人というのもたくさんいただろうが、一方で、直接被害を受けた人の中には、今までと同じ生活を送りたい、元の生活に戻りたいと思っている人たちもいるようだ。価値観が大きく変化したのは、被災者よりもむしろ、それ以外の土地に住んでいた人の方が多いのかもしれない。
被災地に住んでいた人たちのアイデンティティというのは、何を拠り所としていたのだろうか?
それは、その土地が持つ豊かな自然であったり、暮らしてきた歴史であったり、土地の人とのつながりであっただろうと思う。それらが破壊されてしまったあと、それらを元に戻して行かなければならないだろうし、できることなら、より良い状態に戻したいと思うのは、側から見れば普通のことだろうと思う。しかし、本当にその土地に住み、被災した人の立場に立ってみると、そんなに簡単な問題でも無いのかな…という気がしてくる。
繰り返しになるが、その土地に住む人たちのアイデンティティがどこに依存していたのかについては、やはり考える必要があるだろう。土地の状態がゼロクリアされてしまったからといって、住民のアイデンティティまで破壊してしまうことは避けなければならないし、より良い状態にするというのが外部の人間からの押し付けであってはならないだろう(そして、人間の歴史の中で、それは幾度と無く行なわれてきたのだろうと思う)。
そう考えたとき、今後の被災地の復興プランをどのように考えていくかについては、やはり慎重にならざるを得ないし、現地の声をどれだけ取り込んでいくかということが重要になってくる。

戦後、焼け野原になった日本の復興は、同時に価値観も崩壊していたことにより、全くのゼロクリアの中で実施されてきた。今回の震災復興は、スピード感が求められる一方、先に述べたように被災者が保ってきたアイデンティティをどのように守っていくか、更には日本全体として、どのような方向性で国を作っていくか非常に難しいところになる。
しかし、福田氏の文の中に出てくるような「暫定的な」都市、「暫定的な」国家や社会で復興を進めることだけは避けなければならないのではないかと思う。