Facebookもすっかり有名になり、さまざまなところで、Facebookの使い方や可能性、ビジネスへの応用などについて語られるようになってきた。

Facebookの本質を一言で表すと、人それぞれで意見はあると思うが、以前、ブログでも書いたように、「拡張現実」だと思う。そして、もう一つ忘れてはいけないのが、これも別のブログに書いたのだが、「ITは道具に過ぎないが、一方で、今までのビジネスのあり方(あるいは生活そのもの)を変えてしまうだけの可能性を秘めた強力な道具である」ということである。これらについて正しい認識を持っていないと、Facebookの持つ可能性について、見誤ることになってしまう。

「拡張現実」というからには、それだけではそれ程大きなイノベーションを起こすものではないし、現実の世界が中心にあるからこそ、それをうまく補完するという特徴をどのように使っていくかということが、これから大切になっていくのだろうと思う。同様に、リアル世界での軸足が定まっていないと、いくら拡張現実を広げていっても、それは本当に実体感のない、フワフワとしたものにならざるを得ない。そのあたりが今まで、ネットの世界で膨張・拡張を続けてきたVR(仮想現実)とは異なるものなのだろうと思う。
また、そこ(SNS)で人のつながりを作ったり、強めたりということが、今までリアルな世界でも行われてきたことであるという意見もあるだろうが、仮想現実ではなく、拡張現実であるということを考えればそれは当然のことである。今まで、リアルな世界で行われてきたことと全く違うことが行われていくということではなく、現実世界での人との出会い・つながりというものが、より早く・強く・濃くなっていくということであり、それらが今まででは考えられなかったような変化になったとき、今までとは全く違ったつながりになっていく可能性が出てくるのではないだろうか。

自分は、今までも色々なところで話をしているが、ここ10数年でのITの世界(ひいては、世の中の生活全般)で、最も大きな変化というのは、携帯電話・インターネットの出現とデータベースの高速化・大容量化だと思っている。どちらもコミュニケーションやデータの蓄積という意味では従来から行われていたことではあるが、ITの進歩により、この二つか質的・量的に大きな発達をしてきたことで、我々の生活やビジネスに大きな変化をもたらしたと思っている。簡単に言えば、「時間と空間からの開放」ということである。そして、Facebookに代表されるソーシャルメディアというのは、この方向性にまさしくそった時代の変化だという気がしている。

日本では失われた10年どころか、もう20年にもなろうとしているわけだが、この時代の変化の本質を見抜くことができず、今までと同じように世界的な変化に対応できない会社ばかりになってしまうと、またしても復活のタイミングを逸してしまうのではないかと危惧している。