人にとって「学ぶ」ということは非常に大切なことです。
子供の時から、学校で学び、社会人になっても様々なところで「学ぶ」ということが必要になってきます。
社会人になってからの学びは、子供の頃とは少し違い、何かプログラムが与えられているわけでもなく、自分自身の意志によって学ぶことを選んでいく必要があります(もちろん、会社などから指示される場合もあるでしょうが)。
特に、自己研鑚のために学ぶとなると、他の人からの強要は無いので、続けていくのが難しいという人がいるかもしれません。何か思いついて勉強を始めてみても、継続しないという人は多くいるようです(自戒の意味も込めてます)。
何かを学ぶには、「学校やセミナーなどで学ぶ」、「本で学ぶ」、「生活や仕事の中から経験により学び取る」など、いろいろな方法がありますが、自己研鑚のために学ぶというときには、自分自身の興味があることに偏ってしまうことがよくあります。
もちろん、限られた時間の中で何かを学ぶためには、自分に必要なこと、学ばなければならないこと(まだ身についていないこと)を選んでいった方が良いので、興味のあることを学んでいくということは大切なことなのですが、「必要なこと」と「学んでいて心地良いこと」を混同してしまうと、何度も同じような本やセミナーを受講してしまったり、逆に本当は必要なのにも関わらず、その必要性について自覚が無いために、チャンスがあっても、いつまでも学ぶための行動に至らないということもあります。
特に「自分は大丈夫」と思っていても、他の人から見ると大丈夫ではないという「自覚の無さ」というのは、結構、厄介で、どこかで気づきを得ることが、その後の仕事や生活に大きな違いをもたらします。
ソクラテスは、無知の知ということを言っていますが、「知らない」ということの自覚から学びは始まるのでしょうね。
私はイノベーションの研修などもすることがあるのですが、新しい発想を得る時に、異分野の事例や技術が参考になるという場合があります。
そういう意味でも、自分自身にとって何が本当に必要なことかをちょっと考えてみて、周りを見てみると、今まで気付かなかった学びのチャンスが出てくるかもしれませんね。