リオ・オリンピック終わりましたね。
日本も結構、メダルを取りました。嬉しいですね。
ところで、今回、タレントの猫ひろしさんも国籍をカンボジアに変えて、マラソンに出場しました。
「国籍を変えて、他国の代表として出場するなんてけしからん!」
という人もいるかもしれませんが、意外と国籍を変えた選手っているみたいです。
愛国心とか、帰属意識とか色々なものがある一方で、選手個人として、恵まれた環境に身を置きたいという気持ちや、チャンスをものにしたいという気持ちもあるのだろうと思います。
最終的には、個人が選択する問題だと思いますし、国籍を変えてまで出場したいという場合は、それに伴うメリット・デメリットを考えた上でのことなのでしょうから、それはそれで良いのかなという気もします。
オリンピックよりも規模は小さいですが、高校野球なんかも、そういうところがありますよね。
各都道府県の代表が試合をするわけですが、別にそこの土地出身の選手ばかりがいるわけではなく、強豪校なんかは、全国各地から良い選手を集めてますからね。
オリンピックにしろ、高校野球にしろ、自分の国や、自分の住んでいる地域、自分の出身地などの選手やチームが活躍すると、何となく嬉しいわけで、それって自分とつながりがある人たちの活躍と、自分自身の活躍を重ね合わせているということなのかもしれません。
だからこそ、有力な選手が国籍を変えて、結果が他国の実績になってしまうということに釈然としない気持ちが生まれてしまうのかもしれませんね。
ところで、アスリートではなく、一般のビジネスパーソンについて考えてみると「会社のため」とか「チームのため」に頑張っている人も少なくはないですが、自分が生きるために仕事をしているという人も多いと思います(むしろ、殆ど?)。
ここでいう「生きる」というのは、単に生活費を稼ぐということではなく、ライフワークや人生の意義、遣り甲斐なども含めてということです。
そう考えた時に、例えば転職するというのは、自分が所属している組織から離れるわけで、人によってはそれが「裏切り」とか「恩知らず」みたいに感じる人もいるかもしれません。しかし、「生きる」というのは、最終的には個人に関わってくることであって、より良い環境とすべく、違う環境に移っていくというのは、それほどおかしな選択ではないでしょう。
どういうわけか、組織が個人よりも上に立っているような考えを持っている人も多いのですが、お互いに役割を果たし、個人が個人であるよりも共同体を作る方がメリットが大きい場合に、組織は意味を持つのであって、盲目的に組織を重視するというのは、どこか変だなと思ったりもします。
(もちろん、組織・共同体を維持するのには一定のルールが必要であり、そこに属して、その恩恵を受けながら、ルールは無視するというやり方は許されるべきではないでしょう)
先日、現東京都知事の小池さんが出馬した際に、当時の自民党都連会長だった石原伸晃氏が「小池先生は自由人なんだなぁと思います」(←多少、違うかも)と発言した際に、自分は「党のために政治してるんじゃないんだから、良いじゃん」というつぶやきをしたのですが、組織って個人の集まりであって、まず自分が(社会の中で)自分の役割をどう果たしていくかということを考えるべきで、組織の中での役割は、その後に来るんだと思います。なんか、自分の考えを先に出すと、自分勝手で周りのことを考えていないようにも見えますが、むしろ、より大きな視点から考えると、そういうことなんだと思います。
今、会社や組織の中で仕事をしている人も、会社の中での役割、組織の中での役割を考えて行動することは重要なことですが、まず、自分自身が世の中で、何をしていきたいのか、どう生きていきたいのかを考えた上で行動していくようになって欲しいなと思います(と、自分にも言い聞かせてみたw)。